Light house

世界中のロマンチックを求めて!

自由とは不自由だ。26歳のわたしが迷う、夢と結婚と生き方。


地元に帰ると、小学校や中学校の同級生たちはみんな結婚していて、子どもの1人や2人産んで育てているのは珍しくない。二世帯住宅を建てて旦那さんの家族と暮らしている友だちや、シングルマザーになって逞しく赤ちゃんを育てている友だちもいる。大学の友だちや会社の同期たちも、だんだんと結婚し始めた。


そりゃ、26歳だもの。この年齢のほとんどの女性は、結婚を強く意識していて、いつも誰かと会う度に、その話をしている気さえする。


「わたしたちもそういう年だからね」
「彼氏とも長いし」
「あ、大学のときのあの子、結婚したんだって」
「わたしもSNSで【ご報告】したーい」
「結婚して会社辞めたいよー」
「幸せになりたーい」
「親からのプレッシャーすごくてさ」
「早いうちに子ども産んどかないとね」


みんな口を揃えて言う。


「「「ねえ、みどりはいつ結婚するの?」」」


わたしに結婚願望がほとんどないことを話すと、驚かれる。

確かに、26歳の女性で、結婚願望がないことのほうが珍しい。それはわたしもわかってる。わたしだって大学生のころは、好きな人と25歳で結婚して27歳で子どもを産もうと思っていた。


わたしは、結婚したがる同年代の女性たちに、違和感を感じている。


あの子が結婚したから、周りからのプレッシャーがすごいから、結婚しなきゃ、とか。
会社で働くことが嫌だから、旦那さんに養ってもらいたいから、結婚しなきゃ、とか。


結婚なんて、一種の契約みたいなものなのに。
結婚という契約を結ぶことを、ゴールにしているように見える。
嫌なことから逃げるための手段として、結婚を選んでいるように見える。
自分の幸せを、誰かに委託しているように見える。


わたしは、そんな結婚の先に、自分の幸せがあるとは思えない。






もちろん、年齢が上がれば上がるほど出産のリスクは高まってくるし、社会で働くより家庭に入るほうが向いているひともいる。
誰かと生活を共にし、子どもを育てることで人間的に成長していくこともできる。親孝行にもなる。
自分の老後を考えても、家族がいるといないとではリスクや貯えが変わってくる。


結婚は、良いことだと思う。将来のことを考えて、結婚することは正しいと思う。


でも、わたしの中には拭いきれない違和感があって。それはわたしが円満な家庭の経験がないことや、愛し合う夫婦をみて育ってこなかったからということが、強く関係していることはわかっている。


周りのひとはみんな、結婚に向かって歩いてく。わたしは、みんなと違う。


わたしは、不安だ。
いままでごくごく普通に、生きてきた。田舎から進学と同時に上京して、就職をして。もちろんそれは自分で選んだけど、同じ道を歩む人は他にもたくさんいたから、これっぽっちも不安なんてなかった。自分は普通で、一般的で、平均的な人生を歩んでいくと信じていた。25歳になったら結婚しようと思っていた時期もあったのに。わたしは今はじめて、人とは少しだけ違う道を歩こうとしている。


わたしは、寂しい。
結婚した友だちはみんな、少しだけ遠くに感じる。それはわたしが勝手に距離を感じているわけでは、決してない。遊びに誘いづらくなったり、金銭感覚が違ってきたり、何より話題が違う。結婚した友だちはみんな、家庭や旦那さんの話をする。わたしは家庭や旦那さんの話をすることができない。女というものは、お互いの環境が少し違うだけでも、以前と同じように仲良く話すことができなくなることがある悲しい生き物だ。






わたしは、もっともっと世界を旅したい。知らない世界をみて、日本にいたままでは出会えない景色や歴史や文化や人々に会いたい。毎日毎日、喜怒哀楽のすべてを使いきって生きていきたい。自分の足で、たくさん歩いていきたい。そのために、場所に捉われない働き方がしたい。望んでいる働き方ができる自分になるために、これからたくさん努力していかなければならない。


恋人は欲しい。わたしの人生にとって、恋人は必要不可欠な存在だ。わたしは恋人がいることで自分に生まれる様々な変化や感情の移り変わりを大事にしたい。誰かと理解し合いたいし、支え合っていきたいと思う。恋人がいるという怠惰は、わたしにとってこの上ない幸福だから。


でも、もしも恋人の存在がわたしの夢を阻む日がくるとしたら、わたしは恋人を手放してしまうだろう。こんな言い方はしたくないけど、恋人の代わりは存在しても、夢の代わりは存在しない。恋人がいるときはその人がいなくちゃ生きていけないような気がしてしまうのに、時が経てばそんなことはなくなる。残酷だけど、経験上、いつもそうだ。






わたしは、どうやって生きていこう。


その答えを出すために、まずは自分が子どもを産むことができる体なのか、きちんと調べなきゃいけない。過去の病歴や普段の生理の様子から、妊娠しにくい体である可能性もある。妊娠できるなら、子どもを産むことについてもっと真剣に考えるし(余計に迷う可能性もあるけど)、無理ならもう諦めて好きに生きていきたいと思う。我ながら面倒くさいけど、わたしはそうでもしないと自分の生き方を決められない。


みんな、どうやって自分の生き方を決めるんだろう。わたしはこんなに悩んでる。
どうして旅をしようとしたの。どうして結婚しようとしたの。どうして、その道を選んだの。


わたしは、どうやって生きていこうね。自由であることは、いつだって不自由だ。