Light house

世界中のロマンチックを求めて!

winter,again.

寒い日は「暖かい国に行きたい」と言い出しにぎわうわたしのタイムライン。
たしかに防寒のためだからといってヒートテックやタイツを重ね着するよりは、ふわふわと軽やかなスカートとヒールの低いサンダルで歩き回ることのほうに惹かれるけれど、それでもわたしは、しんしんと雪が積もるこの地を離れたいとは思わない。
わたしはこの寒さと、この雪と、この冬へのどうしようもない想いと共に、生きていくのだ。
ずっと、ずっと。



わたしが育ったのは、福島の豪雪地帯。毎年12月ごろに、初雪が降りる。子供は歓喜を、大人はため息を。それがわたしの小さな町の、長い冬のはじまり。


朝、家を出るために雪かきをして、夕方、家に入るためにまた雪かきをする。
中学校の体育館はボロボロすぎて、隙間風がピューピュー、雪を窓辺に運んできて、滑って転ぶ人がたくさん。
登校途中、寒すぎて顔や足が痛くなったり、遭難しかけたことも、あったなあ。


最初に、「この地を離れたいとは思わない」と言い切ったけれど、地元にいたころは、冬が嫌で仕方なかった。
寒いことは別に平気だった。でも雪が降ると、行動がとにかく制限される。
まだ車の免許もないわたしは、親と一緒でないとどこにも出かけることができなかった。
ひとりでは、どこにも行けない。
自分の足で、歩いていけない。
わたしにとってこれ以上に苦しいことはない。今も昔も、きっとずっと。


そんなわたしが、雪国で生きていくことの尊さを知ったのは、上京してからのことだった。
東京の冬は、楽だった。寒くもなく、雪も降らず。少し我慢すればおしゃれもできるし、好きな靴で、どこにだって歩いて行けた。
でも、そこではっとさせられた。


東京という街は、冬と共に生きていない。


夜寝る前には、水道管が凍って破裂しないように、きちんと水抜きをする。
冷たい隙間風が入らないように、二重になった窓や玄関。
厳しい冬と生きていくために生み出された、さまざまな生活の知恵たち。共存を目指すその姿は、揺らがず、強く、美しかった。


一方で、少しでも雪が降ると、途端に乱れ出す交通網。 転んで怪我をする人々。たかが数センチの積雪を、大げさに騒ぎ立てるニュース。
ああ。ああ。
やっぱり東京は、自然と共に生きていく街ではない。だからこその住みやすさや、生きやすさはあるし、それぞれの街に適した暮らしがあるのはわかっている。


でもそれはきっと、人の本来の生き方では、ないような気もしていて。
人は、自然から離れて生きることはできないから。この街は、東京は、それを少し、忘れてしまっているような気がする。



このnoteのタイトルをwinter,againにしたのは、GLAYのこの曲が大好きだから。
北海道・函館出身のGLAYがつくったこの曲は、わたしの冬への想いをそのまま、言葉にしてくれている。
この曲はサビ以外のほとんどの部分で、雪国で生きていくことの厳しさと強さを歌っている。そしてその厳しさを綴ったのちに、こう続くんだ。

いつか二人で行きたいね
雪が積もる頃に
生まれた街のあの白さを
あなたにも見せたい


主人公が「あなた」に見せたいのは、ただ真っ白な雪景色だけではない。
冬と、自然の厳しさを目の当たりにしながら、それでも強くたくましく生きていく人々の姿と歴史、暮らし。
愛は絶え間なく、芽吹いては枯れる。
しんしんと、静かに積もる雪は、ときにわたしたちを殺め、生かし、許す。
そのすべてを「生まれた街のあの白さ」という言葉に詰め込んで、「あなたにも見せたい」と。


そう考えたとき、わたしはいつも泣いてしまう。わたしの大好きなひとを思って。わたしの大好きなひとも、とてもとても寒い場所で生まれ、自然と共に暮らしてきた。
わたしにはわかる。あなたが生きてきた、北の大地の厳しい暮らし。そしてあなたもわかる。わたしが生まれた街の、あの白さを。



雪国の暮らしは、尊いと同時に、とても厳しい。だからわたしがまたあの町に戻るかどうかは、わからない。厳しさを知っているからこそ、簡単に「雪国で暮らしたい」というひとの言葉を疑ってしまう。


けれど何年かに一度、東京に降る迫る強い冬はわたしに、この気持ちを、暮らしを思い出させ、と言っているようで。


今日の昼間は快晴で、昨日せっかく積もった雪は、すぐに溶けてしまった。
きっと冬は、またやってくる。
自然と共に生きること。
その厳しさと、強さと、優しさを、何度でもわたしたちに、刻み込むために。